こんにちは LINDAです。(^O^)/
ちゃー21歳
びっちゅ19歳
2019年2月。
私が心筋梗塞になり入院をして
毎日のリハビリと
病気に対しての講習をこなし
やっと退院できる事になりました♪
ヽ(*´∇`)ノ
入院期間は9日間でした。
主治医の先生は様子見で
あと1日〜2日は・・・
と言っていましたが
結局 入院中
1度もぐっすり眠れなかった私は
一刻も早い退院を望み
「安静にします!」
「すごく安静にします!」
「そんなに帰りたいの?」
「はい!」
「もう帰りたい!(>_<)」
と
ちょっとゴリ押し的な感じでの
退院許可をもらいました。
私が入院してから
というもの
毎日面会に来てくれた
びっちゅですが
退院前日と当日は
仕事で来れなくなってしまい
残念がってくれていました。
そして 退院の日は なんと
ちゃーの
22歳の誕生日でした。
結構 前から
「今年の誕生日は 予定があるから」
「当日は家に いないからね」
と聞いていたので
「退院と重なったって」
「大丈夫だよ♪」
「楽しんでおいで♪」
と言っていたんですが
ちゃーは
その代わり とでもいうように
退院前日に 仕事の休みを取り
「21歳 最後の俺」
「見たいでしょ (*^。^*)」
と
午後から夜まで
ずーっと一緒に
いてくれました。
2人で色んな話をしました。
成人した息子と
そんなに話す事ある?ってくらい
長い時間。
そして私が
心筋梗塞で入院してからの
ちゃーの
色んな本音が聞けました。
夜中に救急車で病院に行き
心筋梗塞かもしれないと
わかった時
すごく怖かった と。
救急車を呼ぶ 何日か前から
私の様子がおかしいと感じていて
そしたら
救急車を呼ぶ事態になって
手術の説明を聞いた時に
「心筋梗塞だった場合」
「そのまま手術をします。」
「稀にですが 血栓があった場合」
「ステントを入れて」
「血流を良くした時に」
「その血栓が」
「脳に飛んでしまう事があります。」
「そうなった場合は」
「助からないかもしれません。」
「今日の手術が成功しても」
「2日〜3日はその可能性があります。」
と聞いていたそうで・・・
このまま
会えなくなるんじゃないかと
本当は不安で
いっぱいだったそうです。
そんな話し
私は初耳でびっくりしました。
そうか・・・
だから今回こんなに・・・
そういう事だったのか (T ^ T)
私が全てを丸投げして
任せた事に関しては
「お母さんはさ」
「15歳までに」
「俺たちに色んな事を仕込むって」
「言ってたでしょ?」
「親がそう思って育てたんだから」
「21歳の俺は」
「もう出来るはずだって」
「思ったんだよ♪」
と言っていました。
びっちゅに関しては
私の手術が終わり
CCUに入って
私の処置が終わるまで
同じCCU内で
待っていたそうですが
ピッ・・ピッ・・ピッ・・
という 病院独特の 機械音が
びっちゅを不安に
させるんじゃないか?
これがトラウマになったら
どうしよう・・と思い
わざと CCUの外で
待っていたそうです。
毎日 私の面会に
来る事に関しても
いずれ記事にしますが
びっちゅには免疫系の病気があります。
「びっちゅは1人だと」
「ちゃんと ご飯を食べないし」
「心配だったけど」
「アイツにとっては」
「お母さんのそばにいて」
「色々喋ってる方が」
「安心なんでしょ」
「たぶん体にとっても」
「その方がいいんだと 思ってたよ」
と。
「そうなの?」
「そうだったの!?」
と
聞けば聞くほど
びっくりで
たかだか21歳で
ちゃーは
色んな事を背負っていました。
そして 周りの言う
「ありがとう」に
違和感を覚えたと。
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ちゃーとびっちゅが
私の事に関して
すごく一生懸命
動いてくれたので
母や姉妹たちが
「ママの事してくれて」
「ありがとう」と
言ってくれてたらしいんです。
「ありがとうって」
「いい言葉だけど」
「この場合は 違くない?」
「俺たちは 頼まれて」
「やってるわけじゃないし」
「代わりに」
「やってるわけでもないじゃん?」
「子供が親にやってる事に関して」
「周りに ありがとう」
「って言われるのは」
「何か・・すごくイヤで・・・」
それはびっちゅも
同じ事を言っていました。
小さい頃から私が
言葉を大切にしなさい。
言葉って大事
と
色んな場面で
言ってきたので
周りの何気ない一言に
引っかかってしまったのかも
しれません。
そう思って
モヤモヤしている時に
ちゃーがしっくり来る
言葉を
くれた人がいたそうで・・・
それが父親
元旦那だったそうです。
彼は
「ありがとう」や
「苦労かけて悪いな」
みたいな事は
一切 言わなかったらしく
「お疲れさん!」
「頑張ったな!」
と
言ってくれてたそうで。
「いつもは頼りないけどさ」
「あっ そういうのは」
「ちゃんと わかって」
「くれてるんだって」
「嬉しかったんだよ♪」
「なんかー・・・」
「ママ 今回」
「ホントに何にも 知らなくて」
「なんか・・」
「おちゃらけてて ごめんね?」
「(*//∇//*)」
「(^▽^;)」
ちゃーは
苦笑いしていましたが
退院して
日常が戻ってくる前に
ちゃーと話せて良かったなーと
思いました。
この時間を作ってくれた
ちゃーに感謝です。
ちゃーと話している時に
看護師さんが
今後の生活の仕方を
説明に来てくれました。
一通り説明してくれた後
「何か聞きたい事はありますか?」
と聞かれたちゃーは
「一つだけ 聞きたいんですけど」
「アトラクションって」
「乗っても 大丈夫ですか?」
「(*゚▽゚*)」
「え? アトラクションですか?」
「Σ(゚∀゚*)」
「ディズニー連れてく気」
「満々じゃん!」
「(*´∀`)アハハ」
「だって乗れないと」
「今後 困るじゃん」
「(^▽^;)」
看護師さん
その質問は
初めてだからと
わざわざ先生に
聞きに行ってくれました。
ちゃーは私の為だけでなく
キャストとして
ゲストの安全を守るためにも
聞いてみたかったようです。
先生の答えは
今回 私の処置が早く
心臓のダメージが小さく済んだので
心拍や血圧が落ち着いてくれば
乗っても大丈夫との事でした。
親がこんなに
抜かっているのに
ホントに抜かりの無い子に
育ちました。(笑)
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退院当日は
元旦那に
車で迎えに来てもらう
事になっていました。
たった9日間とはいえ
結構な荷物になっていたので。
写真を撮り忘れましたが
荷物を持ち帰る大きなバックも
ディズニーでした。(笑)
そして 妹との約束を守り
ドラえもんの靴下を履き
迎えを待っていました。
支度が済んでトイレに行って
病室に帰ってみると
なんとそこには
元旦那と
びっちゅの姿が!
「今日は 来れないんじゃ」
「なかったの?」
「(*゚▽゚*)」
「ママを1人で 退院させるわけ」
「ないじゃん!」
「(o˘◡˘o)」
シフトを他の人と
交代してもらったようです。
「ベッドに隠れて」
「驚かそうと 思ったんだけど」
「隠れるスペースが無かった」
「(*//∇//*)」
「ありがとう」
「(*´∀`)アハハ」
最後まで笑かしてくれました。
そして無事に退院。
「びっちゅも大変だったね!」
「ありがとね!」
「大丈夫だった?」
「大丈夫だったよ♪」
「ちゃーがね」
「淋しくなったら言えよって」
「言ってたの」
「だからね」
「あっそう?」
「淋しくなったら 言えばいいのね♪」
「オッケー!って思ってたから」
「全然大丈夫だったよ」
「(о´∀`о)」
なんという楽天家♪
そして
なんという妹気質 (笑)
私が聞いたのは
体の事とか
家の事とかだったんだけど・・・
まぁ 良かったけども。
「みんながねー」
「私にも お金大丈夫?って」
「心配してくれてたんだけど」
「あの大丈夫?は」
「ちゃーのとは違うよね?」
「なんで?」
「たぶん ちゃーに対しては」
「生活費 大丈夫?」
「だったんだと思うんだけど」
「私には 交通費 大丈夫?」
「だったんだと思う」
「 (^▽^;)」
「びっちゅ 高校の時から」
「ビンボーだったからだよー♪」
「≧(´▽`)≦アハハハハ」
「未だに ビンボーだと」
「思われてるんだよー♪」
「人の印象なんて すぐには」
「変わんないからねー♪」
「うん。だから これから」
「頑張ろうと思うよ」
「(*//∇//*)」
そんな会話をしながら
家に着き
着いたのは 夕方でしたが
「ママ 一旦寝るね!」
「うんうん。」
「心ゆくまで 寝たらいいよ♪」
と 自分の部屋へ。
実は私 寝る時は裸族です。
若い時から服を着て寝るのが
ちょー苦手で (^▽^;)
だから病室でも
寝れなかったんですよね。
さっさと服を脱ぎ
自分のベッドへ。
久しぶりの自分のベッド
最高でした♪
ヽ(*´∇`)ノ
こうして9日振りに
熟睡する事ができました。
それから しばらくは
心臓に圧が かかったような
違和感があったり
多少息苦しくもありましたが
今は少しづつ
落ち着いてきています。
私の退院後
ちゃーは
洗濯をしてくれるようになり
びっちゅは
洗い物をしてくれるように
なりました。
入院が9日間で済んだのは
幸いでしたが
毎日 色んな事が起こり
子供達にも 色んな思いを
させました。
子供たちにはホントに
何度 ありがとう と言っても
足りないくらい
感謝の気持ちでいっぱいです。
お見舞いに来てくれた
友達も親戚も
有難かったです。
そしてホントに
元気でいなくちゃいけない
と身に浸みました。
これからは
本気で気をつけます。
<m(__)m>
LINDA
ぽんと応援おねがいします♪