こんにちは LINDAです。(^O^)/
ちゃー中学3年生
びっちゅ小学6年生の
夏休み
の続きです。
義母が亡くなってから
ぐちゃぐちゃな日々を
送りながらも
10日後ついに
火葬の日を迎えました。
義叔母から
「お姉さんに死化粧を」
「してあげたいんだけど」
「私もやった事ないし」
「一緒にやってくれる?」
と言われ
でも私は離婚しているし
こういう儀式的な事は
本物のお嫁さんの方が
いいんじゃないかと
兄嫁ちゃんにお願いし
子供達も見守る中
始めよう
という事になったんですが
義兄夫婦が部屋を
大変な事にしちゃったので
義母の化粧品が見当たらず
自分の化粧品を使った場合
その後
何日か使えないという
話しを聞いて兄嫁ちゃんが
「私のはちょっと・・」
と。
無理もありません。
急に化粧品が使えないと
言われたら誰だって困ります。
私もそういう事は
知りませんでした。
いやでも
その状況を作ったのは
あなた達なのよ?
と心の中で思っている
私と義叔母。
結局 義叔母が
自分の化粧品を使い
義母を
キレイにしてくれました。
その後 搬送されるまで
わずかな
時間ではありましたが
「最後にもう1回」
「おばあちゃんに触ってもいい?」
「(´;ω;`)」
「いいよ」
「触れるのも もう最後だからね」
「おばあちゃん喜ぶから」
「いっぱい」
「触ってあげたらいいよ」
ちゃーもびっちゅも
別れを惜しむように
義母の顔を眺めたり
触ったりしていました。
そして火葬場に到着。
私は元旦那側の
親戚とのやり取りは
ノータッチだったのですが
火葬場には
義父側の親戚たちも
来てくれていました。
義父は自分の姉弟たちとも
あまり上手く行っておらず
連絡を取っているのは
いつも義母でした。
そういえば
義母が亡くなってから
10日もあったのに
この人たち
1度も家に来なかったな
(-_-;)
と複雑な心境。
そこへ
義実家の近所に住んでいる
義叔父が
「LINDAちゃん」
「ホントにこんな形で」
「良かったのか?」
「いくら」
「お金が無いって言ったって」
「40年連れ添ったんだぞ?」
「最後くらい」
「親父さんが借金してでも」
「ちゃんとしてあげるべき」
「だったんじゃないの?」
と。
「義叔父さん」
「それお義父さんに言ってよ」
「私だって」
「ずっとそう思ってるよ」
「(>д<`)」
「でも私が」
「言えるわけないじゃん」
「義叔父さん 覚えてる?」
「私 離婚してるんだよ?」
「そうだったな」
「わかってるんだけど ついな」
「(^▽^;)」
義叔父は
無駄だとわかっていても
どうしても一言
言いたかったんだと思います。
その気持ちは
私にもわかりました。
そして義母の準備が整い
私達は広いホールに
案内されました。
葬儀からの流れではなく
火葬のみというのは
私も初めての経験です。
広いホールの真ん中に
棺に入った義母がおり
その周りを囲むように人がいる
という感じでした。
火葬のみだったからか
元々そういう物なのか
わかりませんが
最後のお別れの時間を
結構長く
取ってくれているようでした。
ホールの方がお花を
配って下さり
1人1人が棺に入れながらの
義母を見る事の出来る
本当に最後のお別れです。
私も子供達と
お花を添えに行きました。
亡くなってから10日間
毎日 義母を見て来ましたが
それでも
棺に入っている義母を見ると
本当に最後なんだ
お義母さんの人生は
どうだったんだろう
今お義母さんは
何を思っているんだろう
急死なんて
どんなに無念だったろう
今までの義母との会話
義母にしてもらった事
子供達を
可愛がってもらった事
離婚を伝えた時の義母の顔
色んな事が頭に浮かんで
どうにもこうにも泣けてきて
涙が止まりませんでした。
そんな中 義弟は
張り切った様子で
その場を仕切っていました。
「皆さんこちらへどうぞ!」
「お花を受け取って下さい!」
「顔を見てやって下さい!」
「触ってやって下さい!」と
大きな声で。
みんながしくしくと
泣いている中で 1人
ホールの方達が
してくれているのと
同じように案内を始め
まるで自分が遺族だとは
思っていないような
みんなの中心になって
この場を回しているのは
俺です!的な
ずーっとバタバタと
忙しなく動き回っており
あからさまに
浮いている事にも気付かず
元旦那が
「お前何やってんだ」
「いい加減にしろ」
と小声で制止しても
その場は静かにするものの
またすぐ同じ事をし始め
ホールの方達も
私達もみんな困惑しており
本当に異様な光景でした。
その後 義弟はさらに
異様な行動に出ました。
それぞれが
義母とお別れをしましたが
義弟は
仕切る事に熱中し過ぎて
肝心な
お別れをしていません。
見かねたホールの方が
「息子さんも」
「どうぞお別れを」
と促してくれました。
すると突然
「何で」
「死んじゃったんだよ!」
「早すぎるじゃないかよ!」
「起きろよ!」
「起きてくれよ!」
「頼むよ!」
「目開けてくれよ!」
とへったくそな
芝居がかった言い方をしながら
ホール中に響く声で
叫びました。
義母が
10日前に亡くなっている事も
その後
遺体が義実家にあった事も
もちろん全員が知っています。
急に芝居を始めた義弟に
みんな一斉にサーーーっと
引いて行くのがわかりました。
もちろん私もです。
もう涙は一滴も出ず
ねぇ何やってんの?
やってみたかったって事?
それいつから考えてたの?
親の姿を見る最後であっても
ホントに何も感じないの?
もう完全に人として
狂ってると思いました。
ホールの方も
「あ、はい では皆様」
「お別れはお済でしょうか」
「これより」
「火葬に移らせて頂きます」
と冷静に対応し
義弟は
自分が思っていたのとは違う
周りの冷やかな反応に
「あ、はい。」
と答えていました。
元旦那の顔は
怒りに満ちていて
周りの方は
呆れて物が言えない感じで
私も心底イヤになり
これが義母の最後なのかと
子育てって何なんだろうと
確かに
育てた結果なんだろうけど
わんぱく3兄弟の
子育て真っ最中に
狭い団地の中で
気の強い
軽度知的障害のある
義父の妹との
同居を余儀なくされ
↑義父の母が投げだしたから
妹さんがやっと施設に
入れる事になったと思ったら
これまた気の強い義母が
↑義父の母
田舎から遊びに来たと
言いながら居座り
他の姉弟に相談しても
誰も受け入れてくれず
結局最後を看取るまで
同居を続けて
義母自身も喘息や
リュウマチを抱えながら
どんなに苦労しただろう
どれだけ
泣いてきたんだろう
こんなに頑張って
生きて来ても
こんなに報われないものかと
言葉にする事も出来ず
もうやるせない気持ちで
いっぱいでした。
その後 義母は火葬され
みんなで収骨し
来て頂いた親戚の方も
その場で解散となり
私達も
義実家へ帰りました。
義実家へ帰ったのは夕方。
とりあえず流れで
義実家に戻りましたが
義弟の一連の行動もあり
義母がもういない
部屋を見るのも辛く
この10日間の疲れもあり
もう何もする気が起きない。
葬儀をするという田舎には
普段は誰も使っていない
亡くなった祖母の家があり
↑義父の母
田舎に行く人達は
みんな
その家を使っていました。
今後のスケジュールとしては
火葬の日の翌日
ゆっくり体を休めて
渋滞を避けるため
夜遅くに出発し 祖母の家へ
到着した日の夜に
祖母の家に
近隣の方に来て頂き
お通夜のようなものを。
その翌日に
田舎のホールでお葬式
という流れでした。
あとは田舎で合流しようと
義実家に長居はせず
私達は帰る事にしました。
元旦那が
再び同じ家で寝泊まり
するようになってから
子供達とゆっくり過ごせたのは
この日が初めてです。
まさかこんな状態になるとは
思っておらず
私も子供達のメンタルまで
気を配って
あげられなかったので
この日はみんなで
義母の事を含め
色んな話しをしながら
ゆっくり過ごしました。
翌日もゆっくり過ごすはず
だったんですが
午前10時頃
兄嫁ちゃんから私に
電話が掛かって来ました。
「助けて下さい!」
「義弟に襲われたんです!」
と。
続きは
離婚後の義母の死Ⅺ
で。
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次回は
性的な気持ち悪さや
私の口の悪さが出て来ます。
苦手な方は
読まない選択をお願いします。
ここまで書いてきて
あの当時を思い出すのは
気持ち的に結構大変で
「何で私は」
「書き始めちゃったんだ!」
「思ったより」
「しんどいじゃないか!」
「(>д<`)」
と自業自得にはまっている
私です┐( ̄ヘ ̄)┌
LINDA
ぽんと応援おねがいします♪
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