こんにちは LINDAです。(^O^)/
ちゃー中学3年生
びっちゅ小学6年生
の続きです。
元旦那から
義母がもう危ないという
連絡を受けて
私も急いで病院へ行きました。
病院へ向かう途中
ふと気が付いて
あの人(元旦那)
お金持ってるのかな?
(・△・;)
もし本当に
義母が亡くなってしまったら
その瞬間から
色んな事が動きだす
その時に
多少でも持ってないと
動けないし
口も出せないんじゃ?
元旦那の家族は
お義父さん お義母さんと
3兄弟ですが
みんなお金を持っていません。
唯一お金を持っているのは
独身の義弟だけ。
元旦那も
私と離婚してから
お給料が下がったと言っていたし
その上で
平均額より少し多い金額の
養育費を入れていました。
不安になった私は
急遽 銀行に寄って
とりあえず30万円
用意しておく事にしました。
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私が病院へ着くと
病室前の廊下に
元旦那 ちゃー びっちゅと
義弟がいました。
「ママ・・・」
「おばあちゃんが大変なんだって」
「(´;ω;`)」
とびっちゅが
抱き着いてきました。
「うん」
「俺たち出かけるトコで」
「父から電話があって」
「びっくりしてさ」
「うん」
「もうおばあちゃんには会った?」
「うん・・・」
「そっか」
「義弟くん 久しぶりだね」
「大変だったね」
「うん・・久しぶり」
「朝方 救急車呼んだんだけど」
「もう間に合わなくてさ」
「そうだったんだね」
「来てくれてありがとう」
「ううん お義父さんは?」
「お母さんに付いてる」
「そっか」
「お義兄ちゃんは?」
と元旦那に聞きました。
「嫁さんと子供連れて」
「急いで来いって言ったんだけど」
「まだ来てないんだよ」
「お母さんに会うだろ?」
「うん」
お義母さんのいる病室に
子供達と一緒に
入りました。
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入った部屋は
普通の病室ではなく
広いフロアに
何台ものベッドがあって
そこに
色んな器具に繋がれている
お義母さんと
お義父さんがいました。
「お義父さん お久しぶりです」
「お義母さんどう?」
「LINDAちゃん」
「来てくれてありがとう」
「いやーまいっちゃったよ」
「何しろ突然だったから」
「びっくりしちゃってね」
「お義母さん」
「もう何をどうしても」
「回復は難しいの?」
「うん」
「脳に酸素が回ってなくて」
「もうどうしようもないらしいんだ」
お義父さんと話している時に
先生が来てくれました。
「ご家族はお揃いになりましたか?」
「いやまだ」
「兄家族が来てなくて・・」
と元旦那。
「そうですか」
「あの・・もう本当に」
「何か手を打つ事は」
「出来ないんでしょうか?」
「何か方法はないんでしょうか?」
「突然の事で」
「びっくりされたと思うんですが」
「お母さまがこちらに」
「到着された時には」
「もう治療のしようがない」
「状態だったんです」
はっきりとは覚えていませんが
優しい口調で丁寧に
お義母さんの状態を
説明してくれました。
そして
お義母さんの目を開いて
見せてくれました。
それは
私が思っていたものとは
全然違って
何の感情もない
何の光もない
ビー玉のような目でした。
お義母さんの意思は
全くなく
機械でかろうじて
命を保っているという
あ・・もう本当に無理なんだ
と
思わざる負えない光景でした。
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その後 お義父さん以外
私達は
廊下で待機していましたが
しばらくして
義兄が到着しました。
ですが
来たのは義兄1人。
「お前何で1人なんだよ」
「嫁さんと子供は?」
とびっくりしている元旦那。
「いや・・とりあえず」
「俺1人で来た」
「何でだよ」
「もう危ないって言っただろ」
「お義兄ちゃん 久しぶり」
「お義母さん」
「待ってると思うから。」
「LINDAちゃん」
「来てくれたんだ」
「とりあえず行ってくるね」
「うん」
「ちょっとこっち来て」
私は元旦那を
廊下の端に連れて行きました。
「もしお義母さんが」
「そうなっちゃったらって話し」
「お義父さん達とした?」
「まだ出来てないよ」
「お金持ってる?」
「親の葬儀なんだし」
「何にも出さない訳には」
「いかないよ?」
「それなんだよな・・・」
「いや本当に突然だったからさ」
「とりあえず30万あるから」
「これ貸してあげるから」
「え?いいのか?」
「葬儀の足しでも」
「何に使ってもいいけど」
「とにかくちゃんと」
「お義母さんを送り出して」
「あげて欲しい」
「全部が終わった後に」
「返してくれればいいから。」
「多少なりとも持ってないと」
「どうにもならないでしょ?」
「大部分は」
「義弟君が出すんだろうけど」
「悪いな」
「それから子供達の事なんだけど」
「どうする?」
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この当時はまだ
離婚という事は伝えておらず
別居という事にしていました。
元旦那側の親族には
離婚を言っていましたが
子供達には内緒という事も
話していました。
それに元旦那の家族は
みんな揃って
おバカさんというか
常識が通用しないというか
唯一 話しが通じるのは
元旦那とお義母さんだけで
そのお義母さんの葬儀という
大きな行事に
私抜きで
子供達を関わらせる事に
かなりの不安と
抵抗がありました。
ちゃーはITPだったし
びっちゅに関しては
義弟の事が気になっていたし。
詳しくはこちら↓
でも子供達にとっては
大好きなおばあちゃん
ちゃんと
お別れをさせてあげたい。
人が亡くなるって
どういう事なのか
バタバタの中で
気付いたら終わってた
とかではなく
後悔しないために
ちゃんと悲しんで
それぞれの思いを持って
送り出させてあげたい。
そんな事を思っていました。
すると元旦那が
「葬儀 お前も参加しちゃうか?」
「いやでもさ」
「子供達には言ってないけど」
「離婚してるんだしさ」
「本来だったら」
「あたしが参加したら」
「おかしいでしょ?」
「そうだけど」
「お母さんの最後なんだし」
「お前がいてくれた方が」
「絶対喜ぶって!」
「う〜ん・・・」
「私も送り出したい気持ちは」
「あるけど」
「長年 家族だったんだし」
「でもこればっかりは」
「私が決められないよ」
「でも子供達だって」
「お前がいないと不安だろ?」
「そうだけどさ・・」
「じゃーお義父さん達と」
「相談してみて?」
「みんなが賛成してくれたらって」
「事にする」
「わかった」
その後 元旦那が
みんなに話し
全員一致で
家族として参加して欲しい
という事になり
期間限定の嫁復活
という事になりました。
お義母さんに会った義兄は
ようやく事の重大さが
わかったらしく
急いで
お嫁さんと子供を迎えに
戻りました。
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義兄の家は
病院から往復で
3時間はかかる所。
その間私達は
もういつ呼吸が止まっても
おかしくないからと
お義母さんのそばに
付いている事になりました。
色んな機械に繋がれている
お義母さんの
手を握ってみたり
体をさすってみたり。
時折
ピコン!ピコン!
と大きな音が鳴り
お義母さんが
逝っちゃうんじゃないかと
みんなで
「おばあちゃん!」
「頑張って!」
「もうすぐ孫ちゃん来るから!」
「まだ待って!」
「お母さん!」
「兄貴たちもうすぐだから!」
「お義母さん!」
と声をかけ
そうすると
ピコン!ピコン!が
落ち着き
またしばらく静かになる。
それを何十回と
繰り返しました。
私達が声掛けを
繰り返すたびに
そばいた看護師さんが
「お母さんに聞こえていると」
「思いますよ」
「声を掛け続けてあげて下さい」
と言ってくれていました。
もう義兄たちは
間に合わないんじゃないか
そう思っていた時
やっと義兄家族が病院に。
そして
義兄家族が到着して
数分後
義母が亡くなりました。
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みんなで号泣し
最後のお別れをした後
処置があるという事で
私達は廊下に出ました。
そこでお義父さんが
衝撃的な事を言い出し
「葬儀は田舎でやるから」
「お墓も田舎にあるし。」
「お父さんはもう」
「何にもわからないから」
「あとは全部」
「お前たちに任せる」
「お前たちでやってくれ」
と。
田舎は片道3時間以上
かかる場所で
昔ながらの風習が
根強く残っている所。
お義母さん亡き後
その風習を知っているのは
お義父さんしかいないのに
お義母さんを
送り出す云々よりも
これからどうしたらいいのか
わからないという不安から
お義父さんが真っ先に
役割を放棄して
逃げてしまったんです。
常識ある
大人に育てたわけでもない
なんの知識もない
息子たちに押し付けて。
ここから
お義母さんを送り出すまでの
地獄の2週間が始まりました。
続きは
離婚後の義母の死Ⅲ
で。
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